“おっさんずラブ”…沼に溺れないためのルール。。

 

“おっさんずラブ”を愛するあまり、沼に溺れ、瀕死の重症を負っている民達を見て心苦しくなる。

“愛”の反対は決して憎悪などではない。愛の反対は“無関心”である。

そこに愛が無ければ憎しみという感情も生まれない。

憎しみとは形を変えた愛の仮の姿だ。行き場を失った愛のエネルギーが助けを求め、叫んでいるんだ。

 

僕もおさラブ沼の住人である。

だけどこの沼で溺れないためのルールは知っている。

 

僕はおっさんずラブに感謝している。

おっさんずラブが紡ぐ愛の周波数により、僕はこの世界に色を取り戻すことができたからだ。

おそらく僕はこれからもずっと、おさラブ沼の住人であり続けるだろう。

でも溺れたりはしない。ルールを守り沼の心地よさを楽しみたい。温泉にでも浸かるように。。

 

どんな沼にも言えることだが、

民同士が繋がり、共感し、分かち合える場であるコミュニティーは素晴らしい。

だけどそれは、時に人を盲目にしてしまうという怖さもある。

これは集合的無意識のなせる業である。

 

心地よい愛の感情も、憎しみの感情も、全てエネルギーである。

それらエネルギーは共感(共鳴)し合うことでどんどん膨らむ、、

心地よい愛の感情も、憎しみの感情も、例外なくだ。。

 

もっとも、心地よい愛の感情はどんどん膨らませればよい、

しかし憎しみの感情を膨らませることは、自分にとっても全てにおいてもマイナスしか生まない。。

 

だから沼で溺れないためにできることは、必要以上に群れないこと。

自分はどう感じているのか、、

その行為を、自分は本当に心地よいと感じているのか、、

自分の意思をしっかり持ってほしい、、同じ沼の仲間としてそう願う。

 

そうしていつまでも、おっさんずラブを愛し続けようじゃあないかぁ~~!

 

 

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